困難を情熱に変える具体的アプローチ

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人生の目的に気づく方法『僕が生きる意味』

人のふり見て、人のふりしか直していない自分

本当、気をつけないとと思います。

『人のふりを見て、
人のふりばっかり直している自分』


例えば、他の人からきいた話を、
さも自分が知っているかのように話したり、

他の人がアドバイスしているのをきいて、
別の誰かに、まったく同じアドバイスをしたり。


だけど、実際は、

そんなことをしている自分自身が、

1番わかっていないんだと思います。


なぜなら、人のふりを直しているだけというのは、

相手の”悪い部分”を見ているだけだから。

 

例えば、頭痛がするときに、
頭痛薬を飲むように。

痛みの原因を見ようとせず、

ただ痛みだけを取ろうとする対症療法

 

それは、人との関わりでも、
まったく同じだと思うのです。


相手の悪いところを指摘したり、
アドバイスしたりするのは、

相手の”悪い部分”だけを見て、
悪い部分だけを見えなくしようとする対症療法。


そのときのアドバイスも、

自分から出てきたものではなく、
誰かからきいたものだったら、

なおさら相手の本質から遠ざかり
うすっぺらいものとなるでしょう。


そして、相手の悪い部分に焦点を当てれば、

それは、私が

相手を”悪い”と認めたことになります。


本質的には悪くないのにも関わらず、

相手が”悪い”と、

狭い主観だけで判断してしまう危険もあるのです。


実際、相手の「悪いと思っている部分」は、

ただ、その奥にある本質に
目を向ける必要がある
ということを
示しているだけなのにも関わらず。


例えば、頭痛がするとしたら、

それは、痛みに問題があるのではなく、
もっと奥に、見なければならない原因があります。


痛みそのものは悪ではありません。


だけど人は、痛みを感じると、

痛みそのものが悪であると、
錯覚してしまいます。

 

まったく同じことが、
人との関わりでも起きていて、

相手の悪い部分が悪だと、

決めつけてしまうことが多くあるように思います。


大事なことは、悪かどうかではないのに、

悪だと決めた上に、

相手の背景も知ろうとせず、
うすっぺらく直そうとする行為こそが、

真の悪なのかもしれません。

 

大切なのは、

相手の悪い部分に”気づく”という

行為そのものに”意味”があり、

それが、相手や自分の奥にある、
本来見るべき本質を教えてくれている
ヒントであること
に気づくことです。


それにも関わらず、

人のふりを見て、人のふりばかり直している自分は、

怖ろしく傲慢で、


人を解決に導いているようで、

実際は、本当に大事なところを見えなくし、
相手の大事な学びの機会さえも奪い、
迷妄へ向かわせてしまっているのかもしれません。


焦点を当てるべきは、

悪いところではなく、

その奥にある本質なのですから。


仮に相手が悪いと思っても、それを悪と決めつけず、
その人のバックグラウンドまで知ろうとすること。

より深い部分で相手を知ろうとし、
関わっていくことが大事であると思うわけです。


「人のふり見て我がふり直せ」と言うとき、

相手のいいところ、悪いところを見るだけでなく、

 ・なぜ、その人はそんないいところがあるのか

 ・なぜ、その人はそういう悪いところがあるのか

より本質を見ることで、

より深く相手を理解し、関わり、

より自己の成長へとつなげていけるのではないでしょうか。

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