困難を情熱に変える具体的アプローチ

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人生の目的に気づく方法『君が輝く最高の君へ』

己の生きる道を見い出すには?

夢を見たんですね。

寝ながら見る方の夢です。


私は雨の中、小学校から帰っていて、
途中で上級生から

「ずぶ濡れやな」とバカにされます。


そして、家に帰ると、
家は田舎の銀行で、

祖父と祖母が経営しています。


私が従業員用のロッカーで
着替えていると、

祖母が、お客さんに「傘どうぞ」と
あたたかいサービスをしていました。

 

夢って本当に違和感がないから不思議です。

私はいじめられたこともなければ、
祖父は亡くなっていますし、

夢に出てきた祖父や祖母は
初めて見た顔でした。


目が覚めてから思い返しても、
夢で見たすべてが初めて見たものだったんですね。


そして気づいたんです。


「あっ、これが私が求めていた
幸せなのかもしれない」
と。


祖母がお客さんに傘を貸してあげて、
お客さんが「ありがとう」と笑顔になったとき、

何とも言えない、幸せな気持ちになりました。


そして、同時にわかったのです。


幸せを求めて努力することは、
間違っていると。

 

幸せとは、夢なんですね。

いつか消えるんです。


この世界に、本当に自分のものになるものなど、
何1つないんですね。

だから、「何かを求めて手にしたい」というのは、
自分のエゴでしかないと思うわけです。


例えば、車や家がほしいと思うかもしれない。

だけど、それを手に入れたところで、
いつかは消えてしまうわけです。


社長になりたいと思うかもしれない。

だけど、社長になったところで、
本質的に意味はないわけです。

そこに意味を持たせようとしている自分がいるだけで。


もっと言えば、そこにありきたりの理由しか
持たせることができないのであれば、
今の自分はその程度だということかもしれません。


適当な理由は、どこまでいっても適当でしかなく、

「祖母がお客様にやさしくしているのが
自分の幸せだ」と、

自分の理想を求めていったところで、
それはエゴでしかないわけです。


それがダメというわけではなくて、

あまりにも”意味を持たせよう”と執着しすぎると、

結果的に、何も得ることがなく
時間だけを浪費してしまうことが多々あるという話です。

 

だとしたら、そんな中途半端じゃダメだと思うわけです。

何かを手に入れるためにがんばるんじゃない、

『何かを手に入れることができるだけの自分に
なる必要がある』
と思うわけですね。


成功とは成長と貢献だと私は思っています。

自己を成長させ、価値を提供し、
まわりに貢献できる自分になるために
がんばらないといけないと思うわけです。


そして、成長し続けた結果として、
いろいろなものが手に入るかもしれません。

人はそれを贅沢と言うわけですね。


だけど、別に贅沢がしたいから、
そうなったわけではないです。

自己を高めていった結果でしかないわけです。

エゴを捨て、執着を捨てたから、
手に入れることができるだけの自分に成長したわけです。


また、努力して、いろいろなものを手に入れても、
幸せでないこともありますよね。

それは、幸せに意味を持たせすぎていると思うわけです。

「こうなることが、自分の幸せだ」というように。


だけど、すべてのものは夢だから。

夢に意味などありません。


私が見た夢のように、
後から「こういうことじゃないかな」と
後付けで理由を付けることぐらいしかできないのです。

だったら、そこに執着しない方がいいと私は思います。


「生きる意味を持たないといけない」と、

それはそれでいいのですが、
今すぐ意味を見い出さないといけないと執着することは、

逆に何も見えなくなってしまう危険だってあるわけです。


執着して、悩んでばかりで、
何も達成できないよりは、

目の前のことに全力で立ち向かい、

成長し、

後付けで満足した方がよい人生となるでしょう。

 

人生の目的というのも、

自己を高めていった結果、
”後付けで理由づけたもの”にすぎないのかもしれません。


あくまで結果ですから、
自分で気づいたもの勝ちです。

気づくというのは、信念です。


そう思えるだけの自分に成長し、
貢献する喜びを見い出した
ということです。


それを使命というのであれば、

ただただ目の前のことに全力で取り組み、
脇目も振らず1点集中で、

自己を高めていくことこそが、

諸行無常の世界で、己の生きる道となりましょう。

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