困難を情熱に変える具体的アプローチ

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人生の目的に気づく方法『僕が生きる意味』

痛すぎる自己紹介

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一度すべてを失った私が月収700万円を達成できた理由。

それは、数多くの挫折を経験し、オリコン1位の
天才プロデューサーとの出会いがあったから。

小学生の営業スマイル

小学校1年生のときだった。 
担任の先生が言った。 

「あなたは顔が恐いから笑いなさい」 

あぁ、僕は顔が恐いんだ。
子どもながらにショックを受けた。

今思うと、顔は恐くなかったと思う。
恐いのではなく、無表情だったのだ。

私は笑顔を作ることを学んだ。

しばらくして学校で「笑顔が1番の子」に選ばれた。

「みんな見習いなさい」

笑顔は誰からも愛される。
私の営業スマイルはそのとき身についた。

母の呪いの呪文

中学校のときは本当に楽しかった

毎日が充実していた

ところがある日『絶望』を知る。

あることをきっかけに、
自分がどうしようもない人間だと気づいた。

『自分は世の中で最低な人間だ』

さらに母親が
毎日のように私に”呪いの呪文”をかけた。

「絶対に悪いことはしないでね。
あなたが悪いことをしたら、
私たちは生きていけなくなるのだから」

母親はいつも自分の立場のことを考えていた。
仕事から帰ると毎日ヒステリックに怒っていた。

私は何か言われる度に顔面が硬直した。

神経質にまばたきをする回数が増え、
それもまた怒られる原因だった。

『常にいい子でいなければならない』

極度に他人の目を気にするようになった。

どこで道を間違えたのか。
それとも生まれたときからこうだったのか。

なぜ人が怖いのか?

私の対人恐怖症はすでに始まっていた。

ふくれあがる劣等感

高校はいい思い出がまったくない。

毎日が苦痛で「学校なんて行きたくない」と思った。
それは、私は、クラスでダメ人間だったからだ。

学校では運動ができるものが強い権力をにぎっていた。
田舎の学校だから特にそうだったのだろう。

私は運動が好きだった。

ところがなぜか高校に入ってぜんぜんできなくなっていた。

クラスで1番できなかった。

生きにくい世の中だった。

まわりの生徒だけでなく先生からもバカにされた。
学校へ行く意味をみつけられなかった。

勉強も嫌だ。
成績も落ちた。

自分は最低の人間だ。 

劣等感がまた少し大きくなった。

誰も話さない三者面談

高校は、ごく一部をのぞいて、
ほとんどが授業を真面目に受けていない。

進学校ではないから
受験が関係なければ
授業など真面目に受ける意味がないのだ。

生徒も生徒なら、先生も先生だ。

高校3年の担任は、まったくやる気のない先生で
授業らしい授業をしたことがなかった。

先生が1時間ずっと
教科書をぼそぼそと読んでいるだけだった。

受験のための三者面談は、
誰も一言も話さなかった。

私は東京行きたいからという理由で、
東京の大学に行くことを決めた。

まさかの中退

受験というものを経験したことがなかったことがよかったのか、
落ちても当たり前という気持ちで受けて大学に受かった。

そして大学院へと進んだが、
人間関係に耐え切れず中退。

まわりから見れば、人当たりもよく、
とてもよくできた人に見えたらしい。

だけど、当の本人は、がんばってがんばってがんばってがんばって
人と接していた。

どうして人と接するだけでこんなにも疲れるのだろう?

まわりは認めてくれている。

でも自分自身では認めることができない。
心にストレスがかかっていた。

私は学問の道から離れた。

対人恐怖症だけど…

学校をやめてすぐ
「大丈夫?」と心配してくれる女の子がいた。

私は対人恐怖症で、
女性と接するなどとんでもないことだと思っていた。

そして私と付き合う人は不幸になると思っていた。

なぜなら私は最低な人間だからだ。

ところが、その子が頻繁に私に連絡してくるようになり、
生まれつき病気があると私に告白した。

「そんなの関係ないよ」と私は言った。

付き合うことになった。

フリーター生活をすることになった。

やはり人と接することは苦痛でしかなかった。
どうしてこんなにもストレスになるのか。

つらい現実だけがそこにあった。

どんな場所へ行っても、真面目で仕事ができるやつと思われた。
でも、それは私にとって何の意味もなかった。

ちょうどそのときだろう。
インターネットを使ってビジネスを始めたのは。

ある会社の商品をメールで紹介する仕事だった。

まわりの誰も成約できないものを
私だけが成約できていた。

対人恐怖症だからといって、
コミュニケーション能力がないわけではない。

むしろ私の場合「絶対に失敗してはいけない」と、
母親からの呪いで、必死で勉強し練習した。

普通の人なら当たり前にできることも、
普通にできないから、たくさん練習した。

人にバカにされながらも、
どうすれば人前で普通に話せるのか。

普通の人に、普通の話し方を教えてもらって何度も何度も練習した。

だから意外とスキルは高かった。

挨拶だって自分からするし、
場をなごませるため、自分から気をきかせて話す方である。

たとえそれがストレスであったとしても。

コミュニケーションスキルがあれば、
口に出して言うのか、文章で書くかの違いだけで、
メールでのやり取りも基本は同じ。

だから私だけ成約できたのかもしれない

しかし、それがなんだというのだ。

自分がやるべきことがわからなかった。

何をしたらいいのかわからず、ただ毎日苦しんでいた。

天才プロデューサーとの出会い

意味のない生活を続けていた。

フリーターとは本当に苦しいものだ。

目的がない。

そんなときバンドをやろうと思った。
メンバーを募集し、活動を始めた。

プロを目指している人と一緒に活動する中で、
声にならない叫びを音で表すことが楽しかった。

だけどプロなどなれるはずもなく、
バンド内の人間関係もギスギスしたものとなっていった。

アルバムができるくらい曲を作って、いつの間にかに活動しなくなった。

そんなときチャンスが訪れた。

インターネットで社員を募集していた。

音楽会社だった。

面接に行くと、社長はすごく若い人だった。
おそらく三十代だろう。

今では結果も出せているが、
当時は血をはきながらはたらき、やっと栄光をつかんだときいた。

社員は数名しかいなかったが、
その活躍ぶりはすごかった。

オリコンチャートで1位を取るくらいだから。

億の売上げだ。

社長の自宅が仕事場だったので、
テレビで見るような人が毎日のようにやってきた。

今まで自分が常識だと思っていたことは
全部常識じゃなかった。

社長のお金の使い方が半端じゃない。

身のまわりのものすべてがブランド品。

地下にはスタジオがあり、ガレージには高級外車。
東京の一等地でこれはスゴイのではないだろうか。

あるとき、社員が見ていたホームページにかっこいいベンツがのっていた。

そこを通りかかった社長が
「それいいね。買っておいて」
と言ったときはさすがにびびった。

1台600万!

今思うとたいした額ではないかもしれないが、
当時の私にはカルチャーショックだった。

そういうお金の使い方があることを学んだ。

お金の稼ぎ方から使い方まで、
価値観が書きかわっていくのを感じた。

そのことがきっかけとなり、私の脳は、
稼ぐことができる脳に変わった。

ただ精神的に仕事がきつく、
それ以上続けることはできなかった。

本当に自分がどうしたいのかわからなくなった。

ありえない先生デビュー

道に迷ったときは何かにすがりたくなるもので、
私は御徒町の占い師に会いに行っていた。

その人が言うには、
「あなたは頭のいい人だから、学校の先生になる」
「27才までは結婚はするな」
というものだった。

占い師が言ったこともきっかけとなり、
私は埼玉県の中学校で講師をすることになった。

「みんないい子ばかりだからきっと楽しいですよ」

教育委員会の人は嘘つきだ。

私が初めて先生としてデビューした学校は、
完全に崩壊していた。

教室内には割られた英語のCDが散乱し、
扉や壁には卑猥ないたずら書き。

生徒はトランプやバレーボールを持って教室を出たり入ったり。

私はそんな学校で先生として教壇に立った。

「絶対に実験はやらせないでください」

若かった私は、そんな言葉に反抗して、
不良に実験をやらせた。

なぜかガスバーナーが大きな炎に包まれて火だるまのように燃えていた。

あやうく火事になるところだったが、
「俺たちに実験をやらせてくれたのは先生が初めてだ」と慕われた。

しかし、やはり崩壊した学校というだけあり、
みんなどこかおかしい。

勤務時間が終わって帰ろうとしたら、
「俺より先に帰るんか」と、ある先生にこっぴどく怒られた。

ところが、次の日、その先生は学校が始まる時間になっても現れない。

ずる休みだった。

私がかわりにクラスへ行ったりと、
何かおかしい毎日を過ごしていた。

先生も生徒もおかしい。

集会のときに生徒が逃げるからと、
外から南京錠で鍵をかけるなんて普通じゃない。

子供たちの助けになりたい。

でも、今の自分には力がなさすぎる。

私は毎日、大声をはりあげて怒ることしかできなかった。

いつか、教師として腕をあげて、もう一度来れたら。
期間の終了とともに、私はその学校を去ることになった。

完璧人間が壊れだした

教員採用試験に受かり、正式に先生となった。

占い師には27才まで結婚するなと言われたが、
それをくつがしてやると結婚した。

仕事では、自分で言うのもなんだが、
若いのにしっかりしていると頼りにされた。

生徒から慕われ、先生からの信頼も厚く、
すぐに担任を任され、結婚もし、
周りから見ればいうことがなかっただろう。

仕事を頼めば何でもすぐにやってくれ、
いつも笑顔で、嫌なこと一つも言わない。

何一つ失敗もしない。

さらにビジネスでも成功していた。

1ヶ月間で公務員の年収の2倍は稼いでいた。
副業はできないので、妻に経理をまかせ確定申告をしていた。

住民税だけで何百万も払ったり、
税務署の人が家にやってきたり、
年収が1000万をこえ消費税も払わないといけなくなったり。

インターネットで稼ぐといろいろあることを実感した。

妻に病気があったため、アパートの生活は大変ということで、
家を新築した。

あり得ない話だが、二十代そこそこの若者が家を建てた。

仕事も家庭も順調。
マイホームも手にし、夫婦円満。

まさに完璧な人間がそこにいた。

誰もが認めてくれているのに、
私は私のことをまだ「最低の人間」だと思っていた。

まわりから見た私と、私が見た自分自身に
ものすごいギャップを感じていた。

ある夏の日。

職場でストレスチェックがあった。

健康に過ごすために、病院の先生が
いろいろと話をしてくれるものだった。

シートに日頃感じていることをチェックしていく。

結果は90点だった。

40点以上の場合は、医者に診てもらった方がいいと書いてあった。

完璧に見えた人生の歯車が、
少しずつ狂いだしていた。

闘病生活の終わり

妻には持病があった。

生まれつきだった。

私が手にしたお金は、
すべて妻のために使った。

私が普段お金を使うといったら、
たまに雑誌を買うくらいである。

酒やたばこは一切やらない。

ギャンブルもしない。

服は妻が通販で買ってくれていた。
身のまわりにお金は使わない。

対人恐怖症で遊ぶことを知らないので当然である。

ここ数年で医療が進歩し、
今までの治療よりも体への負担が小さくなったことで、
本格的に妻の病気を治すことになった。

闘病生活が始まった。

仕事が終わったら家に帰り、
洗濯物を取り込み、着替えを準備した。

病室で見れるように、テレビで録画したドラマなどをDVDに移し、
妻が入院している病院へと毎日通った。

病気が治ることを願い、
病院と職場と自宅を行き来する日々が続いた。

おかげで妻の病気は完治した。

5年間にわたった病気との闘いはついに終わりをつげたのだ。

なぜか私の心は暗かった。

うつ病発症

いつからおかしくなったのだろう。

私は妻に怒られることが多くなっていた。

そのときの私の心はすでに後戻りができないほど
病んでいたのである。

何が原因かはわからない。

いつか受けたストレスチェックの結果を持って、
私は病院へ行った。

「うつ病ですね」

行く前からわかっていたような答えだった。

私は処方された薬を飲むようになった。

気分がハイになった。

知らない人にまで話しかけるようになっていた。

「最近よく話しますね」
職場の人が驚いていた。

私が明るくなるにつれ、
私と妻との仲は暗くなっていった。

家族は恋人にはなれない

私の何が悪いのだろう。

妻は私が悪いという。

私は怒ったことは一度もない。
もちろん手をあげるようなことも。

妹とだって一度も喧嘩したことはない。

逆にそれがいけなかったのだろうか。

真剣に話せば話すほど、私は非難されるようになった。

問題だったのは、長い闘病生活で、恋人というより、
家族という関係になってしまったことだ。

妻は恋人を求めていた。
私にとって妻は、大切な家族だった。

それにくわえ、5年間にもわたって望み続けた子供が、
いつになってもできなかった。

二人の間にできた溝はもう埋まらなかった。

いつ死ぬかわからない人と一緒にいることはできない

ある夏の日、朝5時に目が覚めた私は、
家の近くの駅へと向かっていた。

何を思ったかわからないが、
その日は自分の車でなく、妻の車に乗っていた。

その日は土曜で休みだったのだが、
前日にある事件があったのだ。

隣のクラスの生徒が、駅で大事な手帳を落としたという。

たまたまそのクラスの担任が急病で休んでいたため、
私がその子の面倒をみた。

なくした手帳が気になって、
駅に届けられてないか確かめに行ったのである。

駅員「届けられてないですね」

ないか・・・。

駅で落としたという生徒の言葉を信じ、
私は構内を探し歩いた。

結局、後日、その手帳はぜんぜん違う場所からみつかったのだが、
その日、見つからなかったことで、私はイライラしていた。

朝早くて寝ぼけていたこともあった。

いつもより多くアクセルを踏んでいた。

しまったと思ったときは時遅く、車は限界をこえ、
陸橋の上のカーブを右へ左へと暴れまくった。

私は何とか戻そうと悪戦苦闘するが、
最終的に、歩道へはねあがり、陸橋の極太のガードレールにぶつかり、
車の前半分を大破する形でとまった。

奇跡的に私は無傷だった。

歩道にのりあげたおかげで、衝撃が上へのがれたからだろう。
私は警察と保険会社に電話し、JAFを呼んだ。

家に帰った私に、妻は半狂乱で泣き叫んだ。

その日はお葬式があり、
職場の先輩の旦那さんがなくなったので、
私は受付の係をすることになっていた。

「お願いだから行かないでほしい」

私は仕事だからと、そのまま出かけた。

その日の夜、
「いつ死ぬかわからないような人と一緒にいることはできない」

妻から離婚を切り出された。

すべてを捧ぐ

私たちは離婚することになった。

私は妻にすべてをあげた。
土地も家も車もお金も。

離婚するときは、本当は等分しないといけなかったのかもしれない。

でも別にほしいとは思わなかった。

なぜなら、すべて妻のために手に入れたものだったから。

その後、元妻は再婚した。
しかも相手は婿に来てくれるという。

当時を思い返すと「絶対に婿じゃないと嫌だ」
私に言っていた。

それも離婚の原因の一つだったのかもしれない。

再婚後、元妻はすぐに赤ちゃんができた。
私とは子供が欲しかったのにできなかった。

運命だったのかもしれない。

「27才まで結婚はするな」

占い師の予言は的中した。

私はすべてを失った。

うつ病その後

私がハイになったことで、
医者はうつ病は治ったと判断した。

私も薬を飲むと、テンションは上がるが、
頭の回転が鈍るのであまり飲みたくなかった。

だから治ったことを了承した。

実際には何も変わっていない。

私の中の『絶望』は今もしっかり生き続けていた。

ストレスはついにMAXに

離婚して失ったのはお金ではない。

生きる目的である。

今まで妻のために生きてきたのに。
これから何のために生きればいいのか。

目的を失った私は、魂が抜けてしまっていた。

相変わらず仕事では頼りにされていたが、
だから何だというのだ。

私は生徒のためを思って、毎日一生懸命はたらいた。

だけどやはり限界が来たのだ。

人と接することにストレスを感じる私が、
学校の先生なんて無謀だった。

普通に考えておかしいでしょ。

克服してやると意気込んでやってみたが、
みごとに玉砕した。

ストレスはMAXになっていた。

どうして私は人と接するだけで、
こんなにも疲れてしまうのだろう?

退職届を出した。

絶望の正体

学校の職場にどうしようもない人がいた。

仕事がまるでできない。

旅行のお土産をあげたら、
「私これ嫌いなんですよね」と平気で言う。

「原稿がなくなった」と会議の途中にパニックになる。

アスペルガー症候群。

本人は気づいていない。
まわりは全員気づいている。

その先生が私が勤めていた学校にやってきたとき。

私は勤めて2年目にも関わらず、
教頭からその先生の面倒を見るように言われた。

私より10才以上年上なのに。

私はうれしかった。

優越感にひたっていた。

だってそうでしょ。
自分より年上の人の面倒をみてくださいなんて言われたら。

自分が期待されている人間だと思うじゃないか。

 

 

私は何も見えていなかった。

 

 

 

「顔が恐いから笑いなさい」
無表情な私に先生が言った。

「お前、本当にバスケやってたのか?下手くそすぎやろ」
体育の先生が私に言った。

「まばたきを今すぐやめなさい」 
子どものとき母親が言った。

「どうして私の気持ちがわからないの?」
「あんたは絶対にうつ病じゃない」
「私のこと愛してないよね」
が私に言った。

「どうして無表情なのだろう」

「どうして運動ができないのだろう」

「どうしてまばたきを人より多くしてしまうのだろう」

どうして気持ちが上手く伝えられないのだろう

どうして人と接すると疲れるのだろう

「どうして私は、自分が最低の人間だと思っているのだろう」

コミュニケーションの障害。

運動神経の障害。

チック。

意思の疎通が困難。

対人関係の障害。

なんてこった。
どうして今まで気づかなかった。

すべて理解した。

私も同じだったのだ。

そうか、私が私の中にずっと感じていたものはこれだったのか。

私の 『絶望』 は今も私の中にある。

これからも、私が死ぬまでずっと、
私の中にあり続けるだろう。

そして、私は『人生の目的』に気づいた。

あなたに伝えたい目的を持って生きることの素晴らしさを

私は身を持って知った。
人生に目的を持つことがどんなに大切か。

私は、妻のためだけに生きることが正しいと思っていた。
でも、それだけじゃダメだった。

子供のときから、まわりの目を気にしすぎて、
私は、まわりが求める人間になろうとしていた。

それは自分らしく生きることではなかった。

自分以外の何かになろうとしていた。

私の中にある絶望は、私以外の何ものでもない。

それも含めて自分自身だ。

そして、自分らしく生きるとは、
他人と比較して生きることじゃない。

誰かのように裕福になりたいとか、
あの人より偉くなりたいとか。

他人と比較して生きることで、どんどん本当の自分から離れていく。

朝顔がヒマワリになれないように、
自分以外のものになろうとしても、
そこにはつらい現実しかない。

私はすべてを失って、自分が求めていた幸せは、
ただの願望でしかなかったと知った。

本当の幸せとは、すでに自分の中にある。

幸せとは、なろうと思ってなるものではない。

今、ある幸せに気づくことができなければ、
一生幸せになることなどできないのだ。

本当の幸せとは自分らしく生きることだ。

人生の目的に気づき、
自分らしく生きることだ。

そして、幸せになるには、
自分の中の幸せに気づく必要があるように。

人生の目的も、すでに自分の中にあり、
今この瞬間も、私たちは人生の目的の真っただ中にいるのだ。

それに気づく必要がある。

私は、私と同じように、
・目的を見失ってしまったり、
・本当の目的ではないものを追い続けていたり、
・自分が本当にすべきことがわからなかったりする人の
助けになりたいと思った。

今まで経験してきたことすべては、
人生の目的に気づくためにあった。

これまで点と点で結びつかなかった出来事が、
すべて線でつながった。

そして、目的を持って生きることが
どんなに充実した毎日をもたらすか。

あなたに知ってもらいたい。

これまで月曜日の朝を迎えることが苦痛でしかなかった。
仕事が嫌で仕方がなかった。

人と関わることがストレスでしかなかった。

でも、今は違う。

毎日、朝、自然と早く起きてしまうほどやる気に満ちあふれ。

人と会ったり、話したりすること、
出会いのすべてが新鮮で。

毎日はまぶしいくらいに輝いている。

生きていることがどれほど素晴らしく、
感動に満ちているか。

もし、人生の目的に気づくことができなかったらと考えると
恐ろしくてならない。

毎日が苦痛で、絶望の連続だった。

そこから脱出できたのは目的に気づいたからだ。

もしあなたが自分らしく生きるきっかけを
ほんの少しでも作ることができたら。

それほど嬉しいことはない。

人には誰にも向いていることがあり、
あなたにもあなたの役割がある

私は1人でも多くが、自分の役割に気づくことで、
まわりの人を助け、世の中がよくなっていくと信じている。

自分らしく生きることで、
すべてが上手くまわり始める。

あなたが後悔のない、
自分らしい人生を送れるように。

心から祈っています。

DAI

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