5Jun
例えば、女の子が
「私って、一般的に見てかわいい?」
ときいてきたら、どう答えるだろう?
非常に難しい質問だ(笑)
間違っても「普通」と言ってはいけない。
それで、私は2回失敗したから。
失礼を承知で、論理的に考えると、
女の子は、見た目はどうであれ、
子供のときから、親に「かわいい」と言われ、
かわいがられて育ってきている。
だから、「自分はかわいい」と
言われることに慣れているし、
かわいいと刷り込まれている。
したがって、これが”一般的”な基準となる。
親が子供を見て「かわいい」という基準を
元に考えなければならない。
「一般的=親から見て」であって、
「一般的=一般大衆」ではない。
だから、僕は親の気持ちになって、
「うん、すごくかわいい!」と言うだろう。
断っておくが、これはあくまで例だからね(笑)
本題に入って、
何が言いたいかというと、
『1つの真実(知識)を知ることは簡単だが、
それを正しく使える(知恵)ようになるには、
真実の裏にある数えきれない背景を知ること(経験)が必要』
ということである。
私は、よく失言をしたり、
間違った行動をしたりする。
それは、慢心以外の何ものでもない。
知識をたくさん知っているから、
それを”遠慮せずに”使ってしまうのだ。
たちが悪いことに、それが悪いことだと、
自分でわかっていない。
これは、
本当に、
本当に、
本当に意識して気をつけていないと、
知らず知らずに、”知識ベース”の行動をしている。
自分が正しいと思って行っていることは、
決して正しいことではない。
あまりにも経験が足りなさすぎるからだ。
知識に頼った、頭でっかちな行動ほど、
あやういものはない。
知識はあくまで知識でしかない。
知識があるから賢いのではなく、
知識を正しく使えるから賢いのである。
大事なのは、それら知識から、
『最適な選択』ができること。
だから、
「真実を伝えることがいつも正しいとは限らない」
勉強して頭がよくなることより、
経験を積んで優しくなれる方が
よほど難しいのである。
したがって、最初の例で、
女の子に、僕が親の気持ちになって、
「うん、すごくかわいい!」と言うことは、
知識ベースの行動であって、
”正しい”行動ではないかもしれない。
「女の子が求めているのは何か?」
知識に頼った表面的な行動ではなく、
より本質に近い思考をしなければならない。
そのためには、彼女ともっと触れ合う必要があるだろう。
経験的に言えば、
女の子は、”質問の答えを求めてはいない”
彼女が求めているのは”感情”であり、
答えではない。
だから、知識をフル回転して答えを返したところで、
”本当に求めているもの”はそこにはないのである。
大事なのでもう一度言うが、
「真実を伝えることがいつも正しいとは限らない」
仮に知識に頼った行動しかできなさそうなときは、
知識から行動へと、
”その場”で一歩踏み込まなければならない。
それにも関わらず、
私は知識のデータベースから
いつも答えを探そうとする。
これは、あらゆる場面、あらゆる状況で、
陥りがちな罠だ。
本当に、
本当に、
本当に意識して気をつけないと、
無意識に、知識に頼った、
うすっぺらい行動をしがちなのだ!
世の中は”矛盾”であふれている。
質問されたからと言って、
答えを求めているとは限らない。
質問しているのに、答えを求めていないってどうよ?
しかし、矛盾とは、知識に頼るから起こるのであって、
経験ベースで考えれば、
理不尽なことも、矛盾も存在はしない。
本質的に何を求めているのかを見極めなければならない。
そのために重要なのが『経験』なのである。
だって、学校の勉強だけしてても、
女の子を満足させることなんてできないだろう?
だとしたら、正しい答えなどなく、
”時”と”場合”で、
いくらでも行動が変わってくると言うかもしれない。
そう。
正しい答えなど、この世界にはない。
そのときそのときで、
正しいと思える選択をしていくしか道はない。
時と場合で、もっとも正しい選択ができるように、
経験を積み、努力する必要があるのである。
だから、勉強して頭がよくなることより、
経験を積んで優しくなれる方が
よほど難しいのである。
”努力”ってそういうことだろう?
関連記事
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。