28Sep
18才で従弟が死んだとき
80年以上生きている祖母は
深い悲しみに包まれた。
それを見て
『死=許し』
だと私の心が訴えていた。
今日のポイント
・怒りや憎しみなど、
感情のコントロールができるようになる
罪悪感
従弟は「許し許された」のだと
そのときは思った。
祖母は「もっとしてあげることが
あったのではないか」と心を痛めていた。
祖母は十分すぎるほどつくしていたし
従弟も最後まで幸せに生きた。
責める必要など本当はないのだが。
祖母は自分自身を許すには
時間がかかるかもしれない。
なぜなら相手は亡くなって
しまっているのだ。
「もういいよ」と言ってくれる人は
いないのである。
すでにいない相手から許されることは難しい。
怒り
人を殺すことは悪いことなのだろうか。
もし自分の子供が殺されたら。
殺人犯を許すことはできないだろう。
ドス黒い怒りと憎しみという
感情にとりつかれるはずだ。
とても許すことなどできない。
あなたも怒りがこみあげ
普段しないような行動を
とってしまったときが
あるのではないだろうか。
感情
人には「感情」がある。
感情は行動の原因となる。
それまでどういう生活をしていたかで
生まれる感情は異なる。
例えば大切な人が亡くなったときは
悲しいかもしれない。
でも自分を苦しめていた人が死んだら
嬉しいという感情を持つこともあるだろう。
また日本で暮らしていれば
若くして亡くなることは驚きかもしれない。
だがそうじゃない国もある。
反応にすぎない
母親からむかつくことを言われイラッとし
文句を言い返すことがある。
でももし1億円当たった後だったら、
同じことを言われても
笑ってすますことができるのではないか。
感情とはすべては心が
作り出したものにすぎない。
目の前に見えている世界も同様である。
イライラさせる人は
どこにでもいるのだけれど
イライラも体が反応して生まれた
感情にすぎないとわかれば
怒りに身をまかせることが
意味がないことがわかるだろう。
許し
許しとは
相手を許すことでも
誰かから許されることでもなく
怒りや憎しみ、痛み、フラストレーション、
孤独、不快、恐れ、罪悪感
すべての感情は
心が作り出したものにすぎないと
気づくこと。
一般的には
・罪をつぐなうこと
・罪を許すこと
・愛で癒やすこと
という意味であるが
実際は
・人間は不完全な存在である
つまり
『すべては心が生み出した幻にすぎない』
と気づくことである。
死
祖父は死ぬ間際
献身的に世話をしてくれた祖母に
「ありがとう」と言った。
一度も感謝などしたことのなかった祖父が。
その一言は
祖母の心に深く刻み込まれた。
死とは許しである。
人間であるうちは
感情を持って許されたいと願う。
そして死をこえた先に
すべては心が生み出した幻だったと
本当の許しが待っているのである。
生きる意味
人間は生まれながらにして
罪を持つようにできている。
感情を持ち
考えることができる。
だから今を生きる意味がある。
不完全な人間だからこそ
意味を見出そうとする。
人生とは、感情に翻弄されながら
自分の役割を見出していく過程である。
そして最後は誰もが
「感情的に許されたい」と願う。
許されたいというエゴだ。
許されないと後悔したくないのだ。
死とは感情的な許しである。
まとめ
・すべては心が作り出したものにすぎないと知る
・感情は行動の原因となる
・人は許されたいと願う
人における許しは
日常における罪のあがないである。
ヒトという存在としての許しは
物理的に心が生み出したものにすぎないと
気づくことである。
もし日常で怒りがこみあげてきたら
感情は心が生み出した幻にすぎないと気づくことで
『感情をコントロール』することができる。
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