19Jan
私は以前、困っている人を見れば、
必ず手をさしのべていました。
「頼めば何でも解決してくれる」
いい人でした。
でも、それは間違っていました。
もちろん、お年寄りが倒れているなど、
明らかに助けが必要なときもあります。
なので、時と場合にもよるのですが、
大事なのは、
『本当の人助けとは、
その人の自立をうながすこと』
だと思います。
例えば、パソコンの使い方がわからない
職場のおばちゃんに対し、
かわりにやってあげると喜ばれました。
でも、これだと問題が解決されていないことがあります。
なぜなら、おばちゃんは、
また同じような状況になったら、
また人に頼らなければ解決できないからです。
このことは、日常生活においても、
ビジネスにおいても、まったく同じです。
今でも脳裏に焼きついているのは、
半身不随になったおじいちゃんを
野球部のスパルタ並みにしごいている
おばあちゃんの姿です。
もちろん、愛があってのことです。
そのおかげで、医者が「自立は無理」と言ったのに、
おじいちゃんは、1人で車いすを乗り降りしたり、
トイレに行ったりすることができるようになりました。
もし、これが、”できないから”といって、
すべて手伝っていたら、
できることもできなかったと思います。
実は、すべて手伝うのは罪なのであって、
やってはいけないのことなのです。
なぜなら、
『その人のせっかくの学びの機会を
うばってしまう行為』
だからです。
助けたからといって良いことではなく、
むしろ悪となることもあります。
あくまで、時と場合にもよります。
大事なのは、
その人が同じ状況におちいったとしても、
自分の力で乗り越えられるように
成長させる視点を持つことだと思います。
本当の人助けとは、
単なるいい人であってはならないと思うのです。
私はすべての人に対し、いい人であろうと
気を配っていました。
でもそれは本当のいい人ではなく、
単なるいい人だったのです。
本当は、相手のバックグラウンドを理解して、
自分が関わることで、
相手がどう成長するのかまで考え
接するとよいと思います。
ときには、愛を持って、
スパルタおばあちゃんになる必要もあるかもしれません。
もし、困っている人がいたら、
どう接するのがその人にとって一番よいのか、
少し考えてから行動に移すとよいと思います。
そしたら、みんなが本当の意味で助け合って成長し、
いざ、困っている人が目の前にあらわれたとき、
助ける余裕が生まれるのではないかと思います。
結婚してから1回もそんなことを
言ったことはなかったのに、
おじいちゃんが亡くなる間際に、
「ありがとう」と言ったのは、
おばあちゃんの力だと思うのです。
関連記事
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。