14Apr
「担任、息子の入学式へ…県立高校教諭勤務先を欠席、教育長が異例の注意」
というニュースが話題になっています。
教師としての立場から言わせてもらうと、
息子の入学式に出るために、自分の学校の入学式を
欠席することは想定内のことだと思います。
前々からわかっている予定でしかないということです。
初日だから問題があると思われがちですが、
それは何に対して問題にしているのか
明らかになっていないからではないでしょうか。
親が息子の入学式に出たいというのは、
この御時世では逆にほめたくなります。
入学式に出る行為そのものに問題はありません。
仕事より子ども優先はむしろエライ
息子の入学式を自分の仕事より優先する人間に対し、
私は素晴らしいと思います。
私自身、親は教師でしたので、
私の入学式に親が来たことはありません。
私の親は仕事を優先していたからです。
それも一つの覚悟だと思います。
教師をやる以上、プライベートを捨てる覚悟を持たないと
やっていけない仕事でもあります。
だから、私の親が間違っているとも思わないし、
立派だと思います。
何が問題なのかを明らかに
問題なのは、担任でもあるのにも関わらず、
初日に私事で欠席したということです。
それは多くの人があり得ないと思うことです。
ただ、多くの人があり得ないと思うことと、
やっていいこと、悪いことという判断は別だということです。
多くの人があり得ないと思っていても、
やってはいけないことではないということ。
なぜなら、私のこれまでの経験でも、
子どものために入学式を欠席する先生は
たくさんいましたから。
普通に行われていることです。
ごくごく普通のことなんです。
それをニュースで取り上げるから
大問題のようになっていますが、
そこまでニュースにするようなことではないのです。
問題の本質は何か?
大事なのは、息子の入学式に出席するという行為は、
きわめて当たり前のことだということです。
それを責めることはできません。
仮に、自分が生徒だとして、
担任が入学式に欠席していたとしても、
「子ども思いの先生なんだな」と思うだけです。
中には担任が休むなんてどうかしていると
思う生徒や保護者もいると思いますが、
それは関係ないです。
なぜなら、担任がいれば、副担任や級外の先生もいるわけで、
担任1人がそのクラスを持っているわけではないからです。
チームワークでそのクラスをみています。
誰かが都合で休んだときは、
他の誰かがフォローするというのは当たり前のことです。
勤務体制に問題はありません。
あくまで個人的な感情や倫理観が問題と
なっているだけです。
一部分だけで人を判断してはならない
息子の入学式に出席するなら担任を外す
ということもナンセンスです。
担任ができる人というのは限られますから、
担任を任されるというのは、
それだけの仕事をいつもこなされている方だといえます。
ごく一部分だけを見て、その人が悪いというのはいいすぎです。
人間ですから、いい面もあれば悪い面もあります。
そこまで大きく取り上げることではないです。
ニュースにするようなことではない
結論として、親が子どもの入学式に出席するのは
悪いことでも何でもない。
初日に担任がいないのは、多くの人の反発を生むが、
別に珍しいことではない。
何でもかんでも批判すればいいというものではなりません。
このような問題に白黒はっきりつけることは
できないのですから、
個別に指導すべきことであって、
ニュースにするようなことではないです。
ただし、ニュースにすることによって、
教師が抱える苦悩や激務、問題点が明らかになり、
プライベートを犠牲にしなくとも
子どもの入学式に出席できるような
環境になるのであれば、それは必要なことだと思います。
教師とは本当に激務です。
休む暇がないと言っていいでしょう。
むしろ、息子の入学式に出席すると言ったら、
フォローは全部するから、
喜んで行かせてあげられるだけの環境を
作ってほしいと切に願います。
最善策はこれだ
個人的なことを言えば、
次のような最善策があります。
息子の入学式に出席するというのであれば、
顔を出す程度でいいと思います。
全部に出席すると、仕事も丸々休まないといけませんが、
顔を出す程度であれば、途中から仕事に戻れるでしょう。
臨機応変に、柔軟に対応してこそ、
教師ではないでしょうか。
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