20May
中学1年のとき、
私は自分のことを最低だと思いました。
それからずっと、
自分は最低な人間だと思って生きてきました。
別に誰かに何かを言われたわけでも、
悪いことをしたわけでもありません。
だけど、私は最低な人間だと思って
生きてきたのです。
『劣等感』の塊でした。
人よりも劣っていることがどうしようもなくつらく、
誰にも言うこともできず、
ただ1人で苦悩を抱えていました。
「俺は最低だ」と俺は言いました。
あれから10年以上経ち、
気づいたことがあります。
本当に最低な人間は、
自分のことを最低だと思わないのです。
自分のことを最低だと思っていないから、
自分のことを最低だと言えるのです。
劣等感を感じているうちは、
最低ではないのです。
もし、自分のことを最低と言うのであれば、
それは、最低な自分の尺度で
測って出てきた答えであって、
本当の答えではないのです。
だから、私は言いたい。
心の中に『絶望』を飼いながら、
もがき、苦しみ、葛藤し、
あらがい、落ち込み、うめき、ひれふし、
「声にならない叫び」を体に押しとどめ、
取り繕り、笑い、反抗し、
何度も、喜びと落胆の間を行き来し、
思いっきり上がったと思ったら、
次の瞬間には思いっきり沈み込み、
山あり、谷ありの波長を繰り返し、
挫折、挫折、挫折、
それでも、何とか前に進み、
立ち止まり、膝をつき、地面に手をつき、頭をたれても、
また、顔を上げ、
果てがなく、行先もわからない道を、
光を求めて歩き続け、
からっからの砂漠を歩くように、
ただ、水を求め、
ただ、水を求め、
のどがかわいても、
ないものはなく、
本当に困ったときに助けてくれた人に、
時には涙し、
時には自分の情けなさに顔をくしゃくしゃにし、
ここまで歩いてきた。
そして、これからも歩き続けるだろう。
だから、私はこう言う。
「俺は最低だと」
ふっと、苦笑いしながら。
最低だと思えることが、最高だと。
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