7Dec
花は、なぜ美しいのだろう?
その美しさにひかれ、また蜜の甘さにひかれ、
多くの虫たちが集まり、花粉を運び、
それが花がより大きく咲き誇るきっかけになっている。
花は、どれだけ自分が美しくなれば、
より多くの見返りがあるか考えているだろうか?
そんなことは考えてはいない。
ただ、作れる限りの花粉を作るだけだ。
自分ができる精一杯のことをしているだけだ。
そのことが結果的に、より多くの見返りがあるということを、
自然から私たちは学ばなければならない。
もし、何も買わない客がいたらどう対応するだろう?
「トイレを貸してください」と言われたら、
こころよく貸すだろうか?
「見ているだけ」と言われたら、
利益はないと、何も与えることはないだろうか。
花は、見ているだけのものを区別したりはしない。
差別もしない。
ただ、自分ができる精一杯をやるだけだ。
だったら、買わない客でも、
コーヒーの一杯でも出したらどうか?
自分の店にほしいものがなかったら、
ライバルの店にないか、確認してあげたらどうか?
そのことが結果的に、
より多くの見返りがあるということは、
やってみればわかるし、何より自然が証明している。
それは実は、当たり前のことである。
当たり前のことができていないのは、
人間は目の前の利益しか考えていなくて、
損得で物事を判断するからだろう。
私が多くの富を手に入れられるのは、
何の見返りも求めず、差別もせず、
与え続けているからに他ならない。
このことを普段の生活の中すべてにおいて意識することで、
意識しなくてもそうなるように習慣化する。
花はなぜ美しいのか?
もし、花が損得を考えていたら、
今のように咲き誇ることはできなかったのではないだろうか?
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