29Jan
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『お金があっても幸せになれない』
私はこれはもう1つの真理だと思っています。
ここにコップがあります。
コップにはなみなみと水が満たされています。
そこに1滴の水が落ちます。
すると、コップの水はあふれます。
そのあふれだしたものが幸せだと思うのです。
お金があれば幸せになれるというのは、
幻想です。
もちろん、生活できるだけのお金は必要です。
ですが、お金があれば幸せになれるようで、
実際はそんなことはありません。
私は大切な人を失って、
そのことに初めて気づきました。
人間には欲があります。
その欲は、目標を叶えるためには重要です。
だけど、それは幸せになるためのものではないのです。
なぜなら、”何かを満たそう”とする欲は、
満たした時点で満足してしまい、
その満足感が長続きすることはないからです。
どんなに欲しいものでも、
欲しいと思っている間が一番気持ちが強く、
手に入れてしまった瞬間に、
その気持ちは消えてしまうのです。
そんなすぐに消えてしまうものが、
私たちが求めている幸せなはずがないのです。
もちろん、しっかり努力して手に入れたものは、
大きな満足を与えてくれるでしょう。
だけど、その気持ちが長続きすることはなく、
さらに大きな欲は、次から次へとわいてくるのです。
空のコップにいくら水滴を入れても、
いっぱいになることはありません。
そして、そのコップは、
水滴を入れるほど、大きくなるのです。
いつまでも満たされることなく、
欲望だけが大きくなっていくのです。
幸せとは、自分の内側からあふれ出てくるものです。
自分の心から自然とわきだし、
内側から満たしてくるものです。
決して、自分の外から何かを与えられて
満たされるものではないのです。
もし、何かを得て幸せを感じることができるとすれば、
それは、今、何もなくとも、
”自分が幸せである”と気づくことができる人でしょう。
今、幸せであることに気づけなければ、
何かを得たとしても、心から幸せを感じることは難しいと思うのです。
実際、私はそうでした。
自分が何かを受け取るとき、
足りないものを満たそうとしたのか、
それとも、すでに満たされているところに与えられたのか、
本当の幸せとは後者だと私は思うのです。
なぜなら、足りないものなど本当は何もなく、
すでに私たちのコップは、
幸せで満たされているからです。
何かが足りないという気持ちがあることは、
幸せを感じる気持ちとは相容れないものではないかと思うのです。
そして、何かが足りないということは、
それは、努力の対象となり、
自己の成長とつながるわけですから、
そのことすらも幸せなことだと思うのです。
何かがないから不幸せということはなく、
何もないからこそ、幸せだと思えること。
そこに幸せな人とそうでない人の
捉え方の違いがあるのではないのでしょうか。
あくまで私の考えです。
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