14May
百聞は一見に如かず。
耳で何回聞いても、
一度でも実際に見ることには及ばない
という意味ですが、
まぁ、当たり前のことですよね。
私は、これは、
もっと深い意味で、
多くの人が陥っている問題を
表しているように思います。
これから話すことは、
あくまで私の実体験からの話です。
人生において、成功とは
成長と貢献です。
成長することによって、
より多く貢献できる人になることが
重要です。
そのために、たくさんの勉強が必要ですし、
勉強したことを、試行錯誤しながら、
実践していくことが大切です。
しかし、勉強して知識を詰め込むことが、
本当に大切なこととは限りません。
悟りを開くような人は、
無に至ろうとしますよね?
無というのは、
何もない状態であって、
すべてがある状態に気づくことだと
私は経験から学びました。
すべてがある、つまり、
人間はすべての可能性を持っているということです。
自分は神であったと気づくことです。
神というのは、宗教の神様ではなくて、
無限の可能性を持つということです。
ただし、
いろんな足かせがあると
可能性に気づけません。
雲がかかっていると太陽が見えないように、
つめこんだ知識、つまり価値観というのは、
実は足かせになっているんですね。
知識が雲となって、
真実が見えなくなっています。
私が、人生に、
『百聞は一見に如かず』ということわざを
あてはめるとすれば、
知識をつめこめば、つめこむほど、
真実が見えなくなるということを
意味していると言いたい。
いろんなことができるようになるためには、
知識を入れていくことも大切ですが、
本当のことは、
知識をすべて捨てさったところにしかありません。
人生において、
百聞とは価値観のことであり、
一見とは真理に気づくことです。
価値観は雲であり、
学べば学ぶほど、太陽は見えなくなります。
しかし、
私たちは、勉強すればするほど、
正しく物事が見えると勘違いしています。
確かに、勉強すればするほど、
いろいろな視点から物事が見れますので、
より真実に近い形で見ることができるでしょう。
太って、メタボのお父さんより、
太って、メタボで、ハゲているお父さんの方が、
より真実に近いです。
しかし、それはどこまでいっても
真実に近いというだけで、
真実ではありません。
百聞は、どこまでいっても
百聞でしかありません。
聞けば聞くほど、
知識が増えれば増えるほど、
真実に近づいているだけで、
どこまでいっても真実ではないのです。
なぜなら、真実とは、
頭で考えた時点で真実ではないからです。
頭で考えることが多くなるほど、
頭の中で真実に近づいているだけであって、
固定観念で、物事を主観で決めた時点で、
それは真実ではないのです。
したがって、真実を見たいなら、
雲を除くしかありません。
価値観も、固定観念も捨てるしかありません。
すべてを捨て去ったとき、
本当のことに気づくことができます。
それが、無です。
無というのは、無が大事なのではなくて、
すべてを捨て去って、
つまり、太陽にかかった雲が晴れること、
無になることによって、
これまで見えていなかった真理に気づくことが
大事なのだと私は思います。
したがって、日常生活で大事なのは、
知識はどこまでいっても知識でしかないと
わかっていることだと思います。
知識をたくさん学んだからといって、
真実が見えることはありません。
真実に近い別のものが見えているだけであって、
真実ではありません。
それは、足かせでしかないのです。
問題は、多くの人が足かせであると
気づいていないことです。
目の前に雲がかかっているのにも関わらず、
それが雲であると気づいていないことです。
神を信じる人たちは、
真理に近づくため、
雲を消し去るため、
価値観を捨て去るため、
足かせを除くため、
修行をしました。
瞑想も同じですね。
しかし、普通に生活している分には、
そのあたりを深く考えることはありません。
したがって、日常生活では、
目の前に雲がかかっていると気づいていないから、
苦しい出来事や悪い出来事が起こっている意味が
わからないわけです。
現実は真実でも何でもないのにも関わらず、
それをあたかも真実のように勘違いして
多くの人が翻弄されているのは、
それが雲であると気づいていないからです。
太陽を見ようとせず、
雲ばかりを見ているから、
いつまでも真実にふれることができないのです。
それは、無理もない話で、
私たちが人間だからですね。
人間は未熟ですから、
最初から太陽は見えないわけです。
あえて、分厚い雲を自分で作って、
そこを突き抜けていく中で、
真実に近づいていくわけです。
大事なことは、
価値観は足かせであるとわかっていることです。
それがわかっていれば、
価値観とは、自己の意味を知る手段でしかなく、
ただの雲であると気づきますから、
もっと上手く太陽の光を得ることができます。
知識はどこまでいっても知識でしかないということを、
理解しておく必要があります。
真実に近づく、
つまり、自分が進化、成長するのは、
知識が増えることではなく、
自分自身が光であること、
己の完全性に気づき、
より大きな確信を得るということですね。
知識を増やす事だけに執着しては、
何となく頭がよくなった気がするかもしれませんが、
実際は、目の前を覆う雲を分厚くする
危険をはらんでいるわけです。
勘違いしてはいけないということですね。
自分が何のために生きているのか、
確信を持てなければ、
なかなか前に進むことはできないでしょう。
人間と真理において、
百聞は一見に如かずとは、
価値観や知識をいくら学んだとしても、
たった一度、完全性に気づくことには及ばないと
いうことだと、私は思います。
ただ1つの真実に気づくことができれば、
現実に翻弄されることなく、
まっすぐに、
自らの進むべき道を進むことができます。
確信を持つとは、そういうことだと私は思います。
関連記事
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。