30Aug
好きな服や時計、好きなブランドがあるかもしれません。
自分自身が単純に好きということと、
自分以外から見てどううつるか、
そんな絶妙なバランスで好みとはあるように思います。
小学生のとき、音楽の授業は楽しくなかったですか?
ピアノを鳴らす先生の方を向いて、
みんな座っていました。
私はハーモニカを眺めていました。
ピアニカとかハーモニカとか懐かしいですね。
私はハーモニカに、自分の目を
ぴったりとつけました。
ピカピカ光る表面にうつった自分の目の中に、
何があるのか見ようとしたのです。
「自分の目の中に、何か見たこともない
不思議な世界が広がっているのではないか?」
自分の中にある何かを見ようとしたのです。
朝、起きて、目を開けると、
「朝だな」と気づきます。
明るいから、朝だとわかりますよね。
私は、真っ暗闇で目をあけるのが好きでした。
完全に真っ暗になった映画館のように、
光がまったくない空間で目をあけるのが好きでした。
目をあけていても、
目をとじていても、
そこに広がっている世界は同じでした。
目をあけていても、光がなければ、
それは目を閉じていることと同じだったのです。
私はハーモニカにうつる
目の中を見ようとしたのと同じように、
暗闇の中に何かを見ようとしました。
もし、朝が来て、目をあけても、
何も見えなかったら。
視力を失い、光を感じることができなくなったら。
想像してほしいんです。
好きな服や時計、好きなブランドがあると思います。
もし、目が見えなかったとしたら、
そのときブランドに価値はあるのでしょうか。
もし、目が見えなかったら、
好きな服、好きな靴、好きなスマホのカバー、
そこに意味が見いだせるでしょうか。
もしかしたら、太平洋の真ん中で、
右も左もわからなくなって遭難した船のように、
かわいい、かっこいいという概念すら、
わからなくなってしまうかもしれません。
私は思うのです。
今、目の前に見えているもの、
そこに価値を感じている自分は、
必要以上に着飾っていないかと。
他人からどう思われるかを必要以上に意識し、
表面上の見えている部分だけを
とりつくろっているのではないかと。
もちろん、他人からどう見えるかは、
とても大切なことだと思います。
ただそれに見合うだけの中身も重要だと、
目が見えなくなった自分を想像して感じたのです。
目を閉じてください。
そして、もし自分の目が見えないとしたら、
「自分の中の本当に大切な価値とは何だろうか?」
考えてみてください。
今、できていること、持っているもの、
より大切にしたいと思えたら嬉しいです。
私は、ハーモニカの表面をのぞきこみ、
そこにダイアモンドのように
キラキラと輝く光を見たのです。
自分の中に輝く光があると信じていました。
自分の中の光が見えたのです。
外見だけでなく、中身ももっと素敵になって、
よりいっそう輝きがましたあなたを
みんなは見たいのです。
関連記事
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。