8Jan
「見えないものを見ようとして、望遠鏡を覗き込んだ。」
父親が昼間から、望遠鏡であれを覗いていて、
大変なことにならないか心配です。
常識というサングラスをはずせ
「見えんものを見ようとしよる。」
今日の「ごちそうさん」で、おじいちゃん(でいいんだよね?)が
孫のふ久(ふく)ちゃんに言ったセリフ。
ふ久は、男の子の足に石を落として怪我させたり、
煙が見たくて火をつけ、火事騒ぎを起こしたり。
それは、物にはたらく”力”という見えないものを見ようとしたからでした。
悠太郎も「料理は科学です」と言っていましたから、
ふ久の好奇心や考え方がちょっとズレているところも父親ゆずりでしょうか。
と、真面目な話はここまでにして、
クイズを出します。
私の父が昼間から望遠鏡で見ていたものは何でしょう?
1.今というほうき星
2.太陽の黒点
3.黒いパ○ティー
さて、そんなハレンチな父親はどうでもいいとして、
見えないものの話をします。
前回は、「人生の豊かさは、不安定な世界に
飛び込む回数に比例する」とお話ししました。
多くの人は、安定を求めるため、
逆に、得るものが少ない人生になっていると。
それは、ふ久が「見えないものを見よう」としたように、
私たちも見えないものを見ようとしない限り、
一生気づかないまま終わるかもしれないということです。
ただ、私たちはもう大人です。
見えないものがそこにあることにすら
気づけない大人です。
それは、”常識”があるからです。
価値観ですね。
固定観念が邪魔をするわけです。
私たちは常識というサングラスをかけているため、
本来見なければいけないものが見えていません。
例えば、まわりの人が全員安定を求めているから、
みんな安定を求めるわけですよね。
でも、いい学校や、いい会社に入ることが
いい人生を作るとは限らないわけです。
多くの人が求めていることが、常に正しいとは限りません。
実際は、適度に自分の殻をやぶって外に一歩踏み出さないと、
ワクワク、ドキドキするものには出会えません。
そして、それは、自分の可能性をも狭めているかもしれません。
もしかしたら、自分にはもっとできることがあるかもしれない。
やるべき使命があるかもしれない。
あなたの力はまだまだこんなもんじゃないはずです。
可能性は無限にあるのに、
常識というサングラスをかけているから、
その可能性があることすら見えなくなっているのです。
まわりと同じように安定を求めて、
ずっと同じことを続けていては、成長も進化もありません。
人生の質は、安定を求める限り高まらない。
だったら、みんなが言う常識というサングラスをはずし、
自分の可能性を信じ、新しい一歩を踏み出すことです。
ふ久のように、私たちが当たり前だと思っていることを、
一歩深く考える癖をつけるといいです。
きっと、私の父も、自分の可能性を信じて、
新しい一歩を踏み出したのでしょう。
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