何のために生まれてきたのか?

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悟りセミナー

11.人類補完計画

前回は「魂とは何か?」という話をしていました。

人も動物も物も、本質は1つです。

では、その本質とは
いったい何なのでしょうか?

本質である真理に近づくことは
自分の可能性を最大限に生かせるということです。

あなたは自分のよさを知っていて、
最大限生かせていますか?

今日はその続きです。

人類補完計画

人間はどうしても自分の常識に
当てはめて考えてしまいます。

その殻はなかなかやぶることができません。

目の前に見えていることだけが
この世のすべてではありません。

こう考えてみてはどうでしょう?

私たちが現実だと思っている
目の前の世界は仮想現実で、
実際、もっと高次元に本来あるべき世界があると。

目には見えないけど、すべてのものに共通して
存在している高次媒体、魂がある。

エヴァンゲリオンというアニメの中では
人類補完計画というものが出てきました。

人類補完計画とは、
”人々の個体生命の形”を消し去り、
「出来損ないの群体として行き詰った
人類を完全な単体生物へ人工進化させること」
とミサトさんが言っています。

こういったアニメの中で、
人類の本来の姿について語られることは
近年多くなってきたように思います。

人間は進化していく生き物ですから、
魂レベルで進化をしていけば、
おのずと「真理」に近づいていきます。

真理に近づいていけば、
仮想世界がただの幻で、
真実の姿に気づいていくわけです。

アニメの中では人間という器を捨てて、
全人類が一つになると言われていますが、
実際はそれが人間の本来の姿ということです。

人間だけでなく、植物も動物も、
物さえも、本来は一つの魂からできています。

国語と社会は違うと思いますか?

私たちは「死んだらどうなるか」
ということを時々考えます。

天国や地獄に行くのではないかとか、
死ねば無になるだけとか、
いろんな説があります。

もし、私たちに魂があれば、
それが天国に行ったり、地獄に行ったり
するのでしょうか。

ニュアンス的には合っている部分もありますが、
注意しないといけないのは、
私たちはいつもそういった世界を
自分たちがいる世界とは別のものとして
とらえる癖があるということです。

違ったものとしてとらえることを
「分離感を持つ」といいます。

私たち自身が、個人という分離した人間である
という感覚を持っていますので、
いろいろなものを分離して考えがちです。

例えば、数学の勉強と料理はまったく違うとか。

隣の家のお父さんは警察官だから、
私たちとはまったく違う人だとか。

政治とエンターテインメントは違うとか。

日常から世界の成り立ちまで、
あらゆるものを別のものとしてとらえる癖が
私たちにはあります。

確かにカテゴリーにわけることによって
わかりやすく、過ごしやすくなっている面も
あります。

ただ分離することによって、
私たちや人類の視野がせばまっていることも
また事実です。

すべてを関連づけて考えれば、
見える世界も広がるし、新しいアイデアも生まれるし、
調和もとれ、可能性は無限にあるのに、
非常にもったいないことです。

例えば、国語と社会の歴史を別のものとして
とらえるのではなく、同じものを
別の側面からとらえたものとしてみるなど。

国語の作品も社会的歴史を含めて学べば
より興味を持って学べる可能性があります。

同じように、人間1人1人も、
1つの本質を別の側面から見たもの
という言い方もできます。

気づいていないことに気づく

高次元の世界は目には見えないので、
私たちは常識で考えると

・自分とはまったく別のもの
・この世界とはまったく別の世界

という分離したとらえ方をしてしまいます。

だから話がややこしくなります。

まずはその呪縛を解き放つ必要があります。

大事なことなので何度も言いますが、
今、目の前に展開されている世界は、
心の中で作りだされた幻の世界です。

真実を見てはいません。

そして私たちが認識できない
高次元の世界が存在しています。

その世界はどこか別の世界のように感じますが、
人間が五官で認識できないだけで
確かにそこにあるのです。

そしてすべてのものに魂のような
高次元的な存在があります。

もちろんあなたにも。

中にはするどい人もいて、
オーラとして感じとれる人もいますが、
通常は見ることはできません。

だから気づかないわけですが、
まずはその気づいていないことに
気づかなくてはなりません。

魂の正体とは?

私たちが普段目にしているものは、
完全なる真実のほんの一部分を見ているにすぎません。

真理の一側面を見ているわけです。

そして人間は、常に幻想の中にいる
不完全な存在ということになります。

人間は、物質でできている以上、
どこまでいっても不完全な存在です。

どんな物質にも魂と呼ばれるような
高次媒体が存在します。

私たち人間が知覚できないだけで、
自分自身にも、肉体という物質レベルの存在に加えて、
より高次なメンタルレベルでの存在があります。

これは別々に存在するというわけではなく、
私たちが認識できないだけで、
元々私たちはそういう存在だということです。

携帯電話は、目には見えないけど
電波を発していて、
その電波も携帯電話という一側面を
表したものです。

プラスチックや金属でできたものだけが
携帯電話ではないわけです。

目には見えない電波も含めて
携帯という機能をはたしています。

人間も同じで、肉体的な物質にあわせて
精神的な意識レベルの魂も同時に
存在しています。

目には見えなくとも、全部ひっくるめて
人間なんです。

魂という言葉を使えば、
人間には肉体と魂が同時に存在しているわけですが、
人間の五官で認識できるのが物質レベルの
肉体だけという話です。

本質は何か?

私たちは、目の前に見えている世界が
あまりにもリアルなので、
私たちの本質が何なのかということを
普段考えることはありません。

携帯を使っていても、電波が強いか
弱いかぐらいは気にしますが、
電波がいったい何であるのかは
考えることはないですよね。

私たちが魂と言っているものは、
私たちがいる3次元の世界だと見えませんが、
仮に11次元くらいの世界から見たら、
私たちの真の姿が見えるわけです。

見えないからといって無視してはいけない。

見えないからといって、
自分とはまったく違うものだと分離して
考えてはいけないわけです。

私たちには確かに魂があり、
それは見えないだけで、存在するすべてのものの
本質なわけです。

さて、ここであらためてふれておきますが、
魂があるとかないとか
そういうことは今問題ではありません。

あってもなくても構わないのですが、
あると考えることによって視野が広がり
自分自身の可能性も追求していけるということです。

最初からないと決めつけていたら、
仮にあったとしても
見つけることはできないんですね。

人間は自分が信じたところまでしか
進むことはできないのです。

真理の追求

私は、自分の超能力や
数々の常識をこえた体験などをきっかけに、
真実、つまり真理を追究してきました。

真理とはすべての人類が近づこうとしている
無限の叡智です。

絶対であり、この世界をつかさどっている
宇宙の法則です。

真理を追究することは、
私たちの本質は何なのかを追求することです。

つまり魂があるとしたらその魂の正体は
いったい何なのかということです。

究極の謎ですよね。

しかし実は魂の正体はわかっているのです。

もちろん高次元の話ですから、
科学的には証明できていません。

だけど何千年も前から、多くの賢人たちによって、
その正体は明らかになっているのです。

魂の正体とは?

何だと思いますか?

次回答え合わせをします。

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