何のために生まれてきたのか?

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悟りセミナー

21.神とは何か?

お盆になるとお墓まいりに行きます。

私が子どものころ、父は毎年同じことを
言っていました。

「うちのバカ息子がまともに育ちますように」

残念ながらまともには育たなかったようです(笑)

もしかしたら、今も同じように
願っているかもしれません(笑)

例えば初もうでに言ったときも、
あなたは何かお願いしていませんか?

「今年もいいことがありますように」
というように。

お墓まいりのときはご先祖様にお願いし、
初もうでのときは神様にお願いする。

ここで1つ疑問が出てくるのですが
なぜ神様にお願いをするのでしょうか?

そもそも神様とは何なのでしょう?

千の風になって

私の家はそれほど宗教に熱心ではありません。

あなたの家はどうでしょうか?

お経を覚えて読み上げるくらいはしますが、
後は、1年に1回墓参りに行くことと、
たまに仏壇に手を合わせるぐらいです。

仏壇も家にはなく、祖母の家に行ったときに
お参りするという感じです。

お願いごとをするのではなく、
報告をするような感じです。

ご先祖様に感謝の気持ちと
「これからもがんばるので
見守ってくださいね」という気持ちを伝えます。

頭の中で、そこに亡くなった
おじいちゃんの霊がいることはないと
決めつけてしまっているように思います。

あの歌のように。

「私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています」

この歌詞のように
そこには何もなく、大きな存在として
見守ってくれているのかもしれません。

人間は死んだら肉体はほろびるかもしれませんが、
高次元の意識が消えることはありません。

つまりこの歌詞の通り、お墓に
死んだ人の霊がいるわけではないんですね。

私たちの本質は、たった一つの
絶対的存在である普遍意識でした。

だとしたら「祈ること」は
まったく意味がないのでしょうか?

あなたはどう思いますか?

祈りとは

祈りとは、意識レベルでのエネルギーです。

強い想いは一つの波動となり場を作ります。

同じ想いを持った人たちが集まれば、
そこには強いエネルギーの場ができます。

良いエネルギーが集まれば、
その場所自体がパワースポットのようになります。

例えば甲子園球場のように、
一つの夢に向かって情熱をそそげるような場所には、
ドラマが繰り広げられ、奇跡や感動を起こすでしょう。

逆に刑務所のように、不調和なエネルギーが
集まる場所には、そこにいる人に悪い影響を
及ぼすことがあります。

事故が頻発している場所で、
何度も事故が起こることがありますよね。

それは人間が事故現場と意識することで、
事故を起こさないようにと注意を向けることで
逆に事故を起こしてしまうこともありますし、
何らかの場の影響を受けて事故を起こして
しまうこともあります。

また仏壇に向かって、毎日祈りを捧げれば、
そこに亡くなった人はいないかもしれませんが、
一つの場として清められていくでしょう。

私たちは一人ではない

目には見えないだけで、
物も人も影響を及ぼしあっています。

どんな場所や状況であっても、
不調和な思いを抱くことのないよう
気をつけなければなりません。

もしネガティブな思いを抱けば
よくない行動をし、よくない結果を
引き起こします。

同じ波動を引き寄せるのです。

波動という言葉が難しかったら
明るい人と暗い人を思い浮かべてください。

明るい人のまわりには
たくさんの人が引き寄せられますよね?

逆に暗い人やイライラして怒っているような
人のまわりには人は寄ってこないです。

そしてイライラした気持ちで仕事をすれば
失敗する確率も大きくなりますし、
失敗すればさらにイライラはもっと大きくなります。

人はさらに寄ってこなくなり、
自分のことは誰も見てくれない
自分ばっかり不幸なことが起こると
負の悪循環に陥っていきます。

大事なことは、ネガティブな気持ちでいれば
そのような負の悪循環が起こるということを
わかっていることです。

あせったり、追い詰められた状態で
何かをしようとしても
大抵の場合はよい結果を生みません。

心が乱れているときは
冷静な判断ができないからです。

したがって、良い結果を出したいなら、
清らかな気持ちで、愛を持って
行動することが大切です。

落ち着いた心の豊かな状態で祈れば、
それは大きな力となります。

あなたもお墓参りや新年には、
清らかな気持ちでお参りしたらよいと思います。

次に神とは何かお話しします。

神とは何か

一言で言えば、
神とは、普遍意識そのものです。

どんな宗教においても、
神という存在が出てくると思います。

それらはすべて共通していて、
普遍意識のことを述べています。

仏教でもキリスト教でも、
異なった神がいるわけではありません。

もっと言えば
私たちの本質は普遍意識ですから、
私たち自身が神であるとも言えます。

神に祈るというのは
私たち自身の本質を
絶対的に信頼するということです。

ここで注意が必要なのは
いろいろな宗教において、
神の解釈がズレてしまっていることです。

「神様にお祈りする」とよく言いますが、
それは神に頼みごとをするということではありません。

私たち自身が神なわけですから、
自分自身の完全性を信じ、
神として自覚するということが真の祈りです。

信じるものは救われるとは

「信じるものは救われる」という言葉が
キリスト教の中で出てきます。

これも間違った解釈がされることが
多いように思います。

本当の意味を考えてみましょう。

意味は、信じるものは天国に行くことができ、
信じないものは一切救われないというように、
キリスト教以外を排除するような言葉ではありません。

「主イエスを信じる」

イエスとは分離した
個人のことをさしていません。

イエスとは物質レベルに顕現した
普遍意識のことをさしています。

つまりイエスとは、普遍意識(=神)のことです。

「信じるものは救われる」とは、
普遍意識を信じることで、
何もかもが正しい方向へ導かれれるということです。

様々な宗教において、信者を集めるため、
他の宗教を排除することがあります。

そうなるとイエス(=神)が言ったことを、
本来の意味ではなく、利益を得たい人たちが
都合よく解釈するということがあります。

自己の利益を追求するために、
真理をねじまげて伝えているのです。

このように、宗教では長い年月を経て、
最初の真理をまわりがいいように解釈したため、
本来の意味とは異なっていることが多々あります。

宗教とは、本来誰か特定の利益に
つながるようなものではありません。

もちろんその土地の繁栄を願って、
神様をまつるということもあるでしょう。

だとしてもそれは個人の利益ではなく、
全体の利益を考えてのことです。

もし利己的な考えが少しでもあれば、
それは本来目指すべき方向とは
異なってくることが多いでしょう。

神とは普遍意識そのものであること、
そして私たちの本質そのものであることを
覚えておいてください。

日常生活においても、常に本質は何かを
意識していく必要があるのです。

神を信じるということ

神とは普遍意識のことでしたね。

それにも関わらず、願いごとをしたり、
悩みを解決してくれる存在だと勘違い
していることがよくあります。

もちろん自分たちの成長、進化を第一に考え、
全体の調和を考えた上で神に祈るという行為は、
自分自身に大きな援助を与えてくれるでしょう。

しかしそれはあくまで利己的にならず、
私利私欲を捨て去ったときの話です。

まわりを見渡せば、自分の欲望のために
生きている人がどれほど多いか。

ただそれは悪いことではありません。

彼らも”進化の途中”にいるというだけの話です。

私たちは、悪いことをしている人を批判したり、
間違いを正そうとすることはできません。

それができるのは普遍意識だけです。

私たちは、きっかけを与えることはできたとしても、
その人自身を正すことはしてはならないのです。

彼らも、自分で学び、成長するために
この世に生まれてきたのですから。

そして、そのような一般的に悪いと言われる行いを
する人がいるからこそ、それを見て、
正しい道がわかるということでもあります。

悪いことをしているようで、
それはその人の生まれもった役割なのです。

私たちが行ったことは、カルマとして、
必ず自分に返ってきます。

人を批判すれば、自分もいつか同じ言葉で
批判されます。

例えば、仕事として、アドバイスをしたり、
部下を指導したり、カウンセリングや
コーチングを行うこともあると思います。

そのときも大事なことは、
相手の中の完全性を信頼することです。

言葉をかえて言えば、
相手の成長を期待して、
相手の可能性を最大限生かせるように
言葉をかけたり、助けたりすることが
大事だということです。

困っているからといって、
何でもすぐに助けてしまっては
意味がありません。

相手が気づき、自ら行動し、成長してくるのを
辛抱強く”待つ”ということも
すごく大事なことなのです。

学びの過程やスピードは人によって異なります。

すぐに変わる人もいれば、時間をかけて
変わっていく人もいます。

普遍意識に焦点を当て、
相手の可能性を信じ接してください。

行いが正しいか判断する方法

もし自分がやっていることが
正しいかどうかがわからなかったら。

本当にこれでいいのか
不安や迷いがあると思います。

そういうときは、
「フィードバック」を得てください。

フィードバックとは、何か行動をしたときに
どのようなことが起こってきたかを
目の前の出来事から判断することです。

例えば今、目の前に問題が起こっているとします。

問題を避けようとしたら、
さらに問題が大きくなった。

この場合、さらに問題が大きくなったという
フィードバックにより、
避けようとした行動が間違っていたかもしれないと
振り返ることができます。

避ける以外の選択肢を考えることで、
改善していけます。

逆に問題にある方法で取り組んだら。

問題が解決の方向へと向かった。

この場合は、解決の方向へ向かうという
フィードバックが得られたので
自分の判断や行動は正しかったと言えます。

フィードバックは大きなものから
小さなものまでいろいろあるので、
見逃さないように、丁寧に
目の前で起こっていることを見ることが大事です。

このように、どのようなフィードバックを
得たかによって、自分の行いが正しいかどうかを
判断することができます。

普遍意識からズレたことをすればするほど、
そのズレを正す方向へと自分自身に返ってきます。

何をするにしても、
”神(自分の可能性)を絶対的に信頼する”
という視点を持ち、決して諦めずに
行動していくことが大切です。

神とは私たち自身なのですから。

次回は、私たちが考えている
善と悪とは何なのかお話しします。

あなたは良いことと悪いことを
どのように区別してますか?

それは本当に正しいのでしょうか。

善と悪をどうとらえていけばよいのか
次回をお楽しみに。

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