何のために生まれてきたのか?

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悟りセミナー

24.神視点

前回は世の中には善も悪もないという話をしました。

すべては価値観で決まります。

良いも悪いも主観にしかすぎず、
人生がどうなるかは、心のあり方で
決まるのでした。

私たちがよいことと思っていることも、
他の誰かにとっては悪いということがあります。

戦争であっても、被害を受ける人にとっては悪くても、
それで利益を得る人にとっては良いことだったり、
世の中にしてはいけないことをわかってもらうには
戦争自体が起こる必要性があったりします。

もちろん戦争はないのが1番ですが、
それがわかるのも、戦争が実際に
起こった(起こっている)からです。

実際に経験された方からすれば
絶対にあってはならないことでしょう。

壮絶な体験を通してでしか人は学べず、
それでもなお人は同じ過ちを繰り返す
愚かな生き物なのです。

だからこそ1人1人が価値観や
感情にふりまわされることなく、
本当に自分が正しいと思った道を
見出していく必要があるのです。

感情に流されない方法

良いも悪いもただの価値観であり、
そのとき感じる感情も、
私たちが心のフィルターを通して見ている
ただの幻にすぎません。

そうはいっても、理不尽なことを
言われればムカッとしますし、
普段の生活でイライラすることも多いと思います。

そんなときにいちいち腹を立てていても、
何もよいことはないですよね。

理不尽なことを言った上司にたてついたり、
文句を言ってきた人に怒っても、
さらに状況が悪くなるだけでしょう。

前にもお伝えしましたが、
怒りという感情は
自分の中に相手の言葉に反応してしまう
未熟な部分があるから起こるものです。

むかつく相手も、自分も、
本質は普遍意識であり、
他人であっても他人事ではないのです。

相手を通して、自分の課題を
教えてくれているわけで、
腹を立てるところではないわけです。

自分の中に課題がなくなれば、
どんなに理不尽なことを言われても
反応することはなくなります。

日々の感情に気を配ることで
自分の未熟な部分を見出すことができます。

今日はどうやったら自分の感情に流されずに、
目の前に起こっている現実を
正しく認識できるのか。

神視点についてお話しします。

あなたがいつでも冷静に行動でき、
まわりからもっとよく見られる
最高の方法です。

本当の神視点とは

一つ気をつけておいてほしいことは、
あくまでここで紹介する神視点とは、
現実世界で私たちの頭で考えられる範囲での
視点です。

実際の普遍意識の視点、
本当の神視点とは異なります。

普遍意識は無限で完全ですから、
過去も未来も関係なく、
すべてを見通すことができます。

どんなにミクロな視点でも、
どんなにマクロな視点でも、
時代や、場所、時間に関係なく、
すべてを見通すことができるのが神視点です。

ただそれを私たち人間の頭で考えた時点で、
それは無限ではなく、有限、
つまりただの価値観になってしまいますから、
本来の神視点ではないわけです。

自我意識と普遍意識

普段から意識しておかなければならないことは、
私たちが持っている視点は、
常に「自我意識の視点」だということです。

真理、つまり普遍意識の視点ではなく、
自我意識の視点で物事をとらえている
ということです。

心のフィルターを通して、
感情に流されて物事を見ているのです。

私たちが見ているものというのは幻でしたね。

なぜなら私たちが認識している世界は、
過去の経験を元にして、
自分で勝手に解釈している世界だからです。

普遍意識のように、あらゆるすべての
経験や知識を含んだ視点ではなく、
ほんの一欠片のつたない経験や知識の
自我意識から見た視点が
1人の人間の視点です。

過去に学んだ価値観によって
目の前にあるものを判断しています。

そうなるとニュートラルに物事を判断
できませんから、正しく物事をとらえる
ことができなくなってしまいます。

判断がすべて主観にすぎないということです。

大事なのは、自我意識の視点ではなく、
普遍意識、つまり真理の視点から
物事を見ることです。

”見通す力”というのは、
この現実世界で幻にとらわれることなく、
正しい視点で物事を見るのに適していますので、
今日は、私たちができる神視点を紹介したいと思います。

私たちができる神視点

見通すということは
「俯瞰して見る」ということです。

鷹が、大空から下界を見下ろすように。

私たちも、私たち自身を第三者視点で
見ることを言います。

普段、私たちは、自分の両目でまわりを見て、
見える範囲のものを認識して
生活しています。

神視点とは、それより一歩ひいた視点、
自分を見下ろすように見る視点です。

今、この文章を読んでいるということは、
目で、文章がうつっている画面を見ていると
思います。

それを一歩ひいて、俯瞰した視点で見ます。

例えば、椅子に座って、パソコンの前に座り、
画面を見ている自分自身を見ることです。

幽体離脱をした自分が
自分自身を見ている感じです。

それが第三者視点の神視点です。

「文章を見ている」のではなく、
「文章を見ている自分を見る」という感じですね。

日常生活で常にその視点を持つようにします。

常に一歩ひいた視点で見るということです。

俯瞰視点の例

例えばデパートでエレベーターを待ってるけど、
休日で混んでいて、待っても待ってもこないとき。

いったいいつになったらくるんだと
イライラするかもしれません。

ここでエレベーターの階数の表示を見ながら、
まだかまだかとイライラしている状態が
通常の視点です。

この状態を俯瞰して見てみましょう。

「エレベーターを待っているけど、
なかなかこなくてイライラしている自分がいる」
というふうに第三者視点で見ることができます。

通常の視点で物事を考えていたら、
ずっとイライラした状態が続くと思います。

しかし俯瞰した視点で見ると、
客観的な判断ができるようになります。

イライラした自分がいて、
またそのときの状況もよく見えます。

するとイライラしたところで
状況がよくなるわけでもないから、
イライラする必要はまったくない
ということがわかります。

イライラというのも自分の心が作りだした
幻にしかすぎないわけですから、
感情に流されてもまったく意味がないことは
俯瞰した視点で見るとよくわかります。

イライラしたり、怒ったりしても、
自分に一切メリットがないとわかれば、
怒る必要はまったくないわけです。

私たちは常にこの俯瞰視点を持ち
冷静に物事を判断していく必要があります。

そうしなければ感情に翻弄され
よくない結果ばかり引き起こしてしまいます。

あなたも人生が最悪になるか、
それとも俯瞰視点を持つことで
常に正しい判断をするか、
どちらがいいかは明らかですよね。

感情はなくすことはできませんから、
何らかのよくない感情を感じたときは、
まずは自分がそういった感情を持ったと
俯瞰視点で気づいてください。

次回、どのように感情をコントロールするか、
具体的な方法をお話しします。

それによって、あなたは常に落ち着いて
どんなことが起ころうとも
正しい判断ができるようになります。

まわりから頭のよい人だと思われる
簡単な方法ですので、期待していてください。

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