何のために生まれてきたのか?

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悟りセミナー

12.シャカ

前回は「魂っていったい何なの?」
という話をしていました。

私たちの目の前に広がっている世界は、
私たちが心の中に映し出した幻の世界です。

人間が五官で感じ取り、過去の経験という
心のフィルターを通して見た世界が
今、目の前に見えている世界です。

確かに目の前にあるように見えていますが、
それは真実ではありません。

なぜかというと私たちが認識できない次元に
存在しているものがあるからです。

すべての物質は高次元的な媒体、
つまり魂を持っているんでした。

ただし物質によってエネルギーが異なることや、
人間には認識できないレベルのことであるため、
人には石ころを石ころとしてしかとらえることは
できません。

しかし実際は物をさわっただけで、
そのものが体験した過去を知る
サイコメトラーがいるように、
すべての物は固有の意識を持っています。

魂なんてないという考えもあると思いますが、
ここで大事なのはあるないの話しではなく
自分が見えていない世界があるかもしれないと
いうことです。

盲点が見つかれば、そこに人生の解決策や
新しい可能性が存在します。

自分の眠っている才能や使命があり、
そのことに気づくことが重要です。

ですので私の経験と賢人たちの教えを受けて、
「魂はある」という前提で話を進めていきます。

意識レベルではつながっている

ここまでの話で考えると、人間や植物や物があって、
それぞれ肉体の器にそれぞれの魂が
入っているイメージになります。

ところがここであることに気づきます。

「俺の魂は俺のもの」と考えると、
つじつまが合わないのです。

どういうことか説明します。

ここで「意識」について考えてみたいと思います。

人間には意識がありますよね?

それは個人的なものだと思います。

「疲れたよ~、眠いよ~」とか、
「もうこんな仕事やってられない」とか
「あの上司、マジでむかつく」とか、
いろいろ思いますよね。

だけど「何だか胸騒ぎがする」と思ったら、
おじいちゃんが倒れたり、
嫌な予感がして時間をずらしたら
事故をまぬがれたりとか、
摩訶不思議なことが世の中にはあります。

「虫の知らせ」と言うものです。

ほしいと思ったものがベストなタイミングで
あらわれるような「シンクロニシティ」と
呼ばれる現象もあります。

これらは魂が個々のものとして考えると
説明がつかないのです。

つまり普段の意識レベルとは違ったレベルで、
明らかに”何か”つながっている意識が
あるのではないかということです。

いったいどういうことなのかを考える上で、
多くの賢人が同じことを言っていますので
参考にしましょう。

私たちの本質の正体とは?

釈迦大師は次のように言っています。

『十方無限世界即ち我の身体也』
(じゅっぽうむげんせかいすなわちわれのからだなり)

十方とは方向、つまり広がりを表し、
世界とは、過去、現在、未来の時間と空間を
表しています。

意味は「宇宙は私自身である」ということです。

私自身が宇宙であると言っているわけです。

宇宙とは、空に見える星がある宇宙のことではなく、
この世のすべてのことです。

つまり、私たちの本質は宇宙だと言っているんですね。

私たちの本質は、物質でできた肉体ではなくて、
宇宙だと言っているんです。

宗教でも「神は私たちの中にいる」と言うことがありますが、
これは神様が私たちの心の中にいる
ということではありません。

神というと、仏様とか、ゴッドとか、
そういうイメージがありますが、
あれは人間が作りだしたものです。

神様という存在がいるわけではありません。

本当の意味での神とは、釈迦のいう宇宙のことであり、
私たちの本質のことです。

つまり私たちは宇宙であり神なんです。

神が私たちの中にいるというのは、
私たち自身が神であるということを言っています。

そして、その神の正体こそが、
私たちの魂の本質である普遍意識(ふへんいしき)です。

何それ?と思うと思いますが、
私たちの魂のとても深い部分では一つにつながっていて、
それが普遍意識と言われるものなのです。

ただし普遍意識は完全ですから、
私たちが言葉にできるようなものではありません。

言葉にできないけど、人間がイメージするには
言葉にするしかないので、
普遍意識という言葉で表しています。

普遍意識は、神、宇宙、生命、実在、愛、真我、
真理というように、様々な言葉で呼ばれています。

すべて同じ意味です。

普遍意識は、宇宙や神と言われるように、
絶対的なものです。

無限であり、完全です。

本来完全なものを言葉にした時点で
人間が作りだした観念になってしまうので
実際は言葉にしたり、人が理解できるようなものではなく
完全で完璧な存在であることに注意してください。

そして私たちが魂と呼んでいるのは、
普遍意識のことです。

普遍意識が私たちの個体にあらわれたものです。

「人間の本質は完全であり、
完璧で、可能性に満ちている」と言うのは
人間が普遍意識そのものだからです。

ただ私たちは、普段の生活において、
仮想世界である幻の中で生きていますから、
普遍意識を自覚することはありません。

もし普遍意識を自覚できたら、
神になれるということですから、
ものすごい能力をひめているわけです。

実際に普遍意識を顕現している人というのは
存在します。

大師と呼ばれる人がそうです。

また歴史に残る成功者や偉大な人物は、
普遍意識を自覚していたと思われる人が
たくさんいます。

しかし私たち一般人のほとんど大部分は、
普遍意識の自覚にはいたっていません。

その理由をお話しします。

分離感が原因

普段私たちは自分の魂を意識することはありません。

「魂なんてあるわけないよね~」と
心のどこかで疑っていますし、
この物質世界で生きている限り、
私たちの五官では認識できないので
あるということを証明できないのです。

そして人間というのは、
幻の中で生きているんでしたね。

真実の姿を見ていないのでした。

自分という存在がいて、世界があって、
他の人間がいると思い込んで暮らしています。

確かに五官で感じる以上、
世界はあり、そこに人は存在するのかもしれませんが、
それはあくまで心の中で作りだしたものだということです。

そしてあまりにも世界がリアルなので、
それが真実だと思っているということです。

自分がいて、他人がいるという、
「自分」と「他人」とを分けて考えているわけです。

つまり「自分と他人は違う」という
『分離感』を持ってしまっているということです。

「当たり前だろ」と思うと思うのですが、
私たちの実在が普遍意識である以上、
分離していると考えることは間違いです。

釈迦大師を始め、多くの賢人が言っているように、
本来私たちは一つなんです。

その一つの普遍意識が、
物質レベルという低次元で表現されたのが、
私たちが普段持っている意識です。

つまり完全なる普遍意識が
いろんな状態で”同時に”顕れているのが人間なんです。

私には私の魂、あなたにはこの魂というのではなく、
唯一の生命である普遍意識が、
同時に表現されたのが人間です。

タケノコの根本がつながっているように、
世界に存在するすべての本質は
根っこの部分でつながっているのです。

大好きなあの子とも、大嫌いなあの人とも、
本質的には一緒だということです。

人間が物理的に存在している現実においては
次元が異なるので見ることができないだけです。

そして意識の高次元レベルにおいては
一つなわけですから、虫の知らせなど、
何か大きな出来事があったとき
離れていても感じることができるのです。

ぶっちゃけ、ここまでいくと
もはやオカルトをとおりこして
「あんたの頭はどうかしてる。
変な宗教にだまされてるんじゃないの?」と
思うかもしれません。

私もそう思います。

思いますが、何千年も前から伝えられる
悟った賢人たちの教えですし、
私自身が現在の科学では証明できない力を持つ経験から
1つの可能性をお話ししているわけです。

答えはどこにもありません。

自分で体験するしか確かめる方法はありません。

もちろん今回の講座では確かめる方法も
お伝えしていくので、
あなた自身が普遍意識の存在がわかることが
1番だと思います。

話を戻します。

固定観念があると普遍意識が自覚できない

ということで嫌いなあの人がいじわるしてきても、
それは嫌がらせでやっているわけじゃないんです。

なぜなら本質的には同じだからです。

嫌がらせをしているように見えて、
自分の成長のために、
大事なことを気付かせるために
やってくれていることなんですね。

冗談ではありません。

「俺はお前で、お前は俺」なわけです。

本質的には。

私たちは認識できないけど、
私たちの高次元のレベルでは
たった一つの命です。

完全で完璧な「普遍意識」です。

そして進化とは真理に近づくことでしたね。

真理に近づくというのは、
”普遍意識を自覚していくこと”です。

宗教も本来はそういった意味があります。

また修行や断食も、何のためにするかというと、
普遍意識に気づくために行っているものなのです。

ただ注意したいのは、あらゆる宗教は、
お金がからむと本来の意図とはズレたことを
目的にしがちだということです。

本当は普遍意識を自覚したいだけなのに、
神に祈れば救われるとか、すべてを捧げなければならないとか、
おかしな方向へ行っているものもあります。

宗教の本質は何か、
見失わないようにしなければなりません。

普遍意識を自覚するというのは、
今ある個々の意識状態、つまり自我意識ではなく、
あらゆる固定観念から解き放たれた
完全なる本来の意識状態に戻るということです。

このことを「解脱」といいます。

これがまた難しいんです。

あまりにも目の前の世界がリアルすぎるために、
私たちの頭はガッチガチの固定観念のカタマリに
なっていて、そう簡単に解脱できないわけです。

価値観にふりまわされているわけです。

だから修行僧は厳しい修行をして、
心を静め、あらゆる固定観念から離れ、
本来の意識状態に目覚めようとするわけですね。

いろいろな考え方は単なる価値観にすぎず、
固定観念があると普遍意識があらわれるのを
邪魔してしまうわけです。

いろんな考え方を学ぶことは大事です。

大事な反面、価値観を持ったところで
それは解脱をさまたげる害にしかならない
というのが現実問題としてあります。

ただ何も知らないというのも問題があります。

なぜなら私たちは未熟であるがゆえに、
何も学ばなければ、死ぬまで幻の中で
生きていくことになるのですから。

したがって私たちが普遍意識を自覚するためには、
ここで伝えているような賢人たちの教えを
最低限知っておくことも大事です。

この世界は私たちの心が作り出した幻にすぎず
そこから解き放たれることこそが
最重要課題であるといえます。

そして解き放たれた先に、
自分の才能を十二分に発揮し、
自らの使命をまっとうするあなたがいます。

オンリーオンの自分として
役割を果たすことができるわけです。

私たちの進化とは、知識レベルの進化ではなく、
魂レベルの進化です。

使命に気づき、いかに自分の役割を
果たせるかということが重要なのです。

知識を積み重ねたところで、
それは価値観が増えるだけで、
幻に幻を積み重ねるようなもの。

したがってこのマトリックスのような
仮想世界を抜け出し、自分の役割を自覚し、
その上で必要な知識を学んでいくことが大切です。

本質を見極めた学びが大事であり、
自分の成長のための学びが大事です。

私たち人間の本質は完全な普遍意識ですから、
何でもできるわけです。

「自分を信じる」とはそういうことです。

ということで、どうやったら普遍意識を
自覚していけるかという話に進んでいきます。

次回は普遍意識について
より詳しく見ていきます。

あなたの可能性を120%発揮する話です。

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